西光寺のご紹介

縁起

京都の洛西にある西光寺は、浄土宗の開祖 法然上人のご遺骸を約8ヶ月間 お隠してお護りした寺院です。 嘉禄3年(1227年)に、法然上人のお念仏の教えに反対した勢力が、大谷 (現知恩院)の法然上人のお墓を破壊して、そのご遺骸を鴨川に流すという 計画をしました。その企てを知ったお弟子達が、奥嵯峨の二尊院にご遺骸を 移して、お隠ししました。 しかし、すぐ知れわたりましたので、密かに当寺にお移ししました。そして、西光寺の開祖 来迎房圓空上人が、翌年の1月25日まで、ご遺骸をお護りしました。その後ご遺骸は、京都の西山の粟生野(後に光明寺)で、茶毘(火葬)に伏されました。 山門は、嘉禄の法難当時が偲ばれるように茅葺造りです。中央に、尋声という額があります。尋とは「たずねる」という意味があり、お念仏の声が偲ばれる寺院ということから命名しています。

西光寺外観
西光寺

本堂内案内

法然上人立像

法然上人立像

法然上人が、奈良東大寺 「三部経講説」の御帰りのお姿を現した像と言われています。 法然上人は、生涯 墨染の衣と灰色の袈裟で過ごされました。 この像は、専修念仏信仰の為にお召しになられた色衣と如法衣のお姿だと受け取っています。 (江戸時代作)

本尊 阿弥陀如来坐像

本尊 阿弥陀如来坐像

平安時代初期に造仏されました(9世紀後半頃) この像の台座背面に、この像が法然上人のお念持佛であったと記されてあります。又、「天福※ 来迎房圓空」と彫り示されています。(※天福とは、元号で1233年となります) 阿弥陀仏の膝上で組む定印(上品上生)では、初期の仏像に属し、通肩の大衣も、阿弥陀仏では貴重なご本尊です。 阿弥陀如来坐像は国の重要文化財指定がされています。

善導大師立像

善導大師立像

中国(唐の時代)の僧で、法然上人の師僧です。 法然上人は、夢の中で善導大師にお会いされましたがそのお姿は下半身が金色で「弥陀の化身」であったと言われています。(江戸時代作)

子守地蔵尊

子守地蔵尊

保育園や近隣の子ども達をお守り下さるお地蔵さまです。

法然上人御廟(御廟塔)

法然上人御廟(御廟塔)

この石碑はもともと広隆寺山門前に設置されていたと伝えられています。(西1丁 西光寺円光大師遺蹟と刻まれています) 広隆寺山門前より移管後、御廟塔として設置しています。 円光大師とは、東山天皇から加謚された最初の大師号です。

西光寺の茅葺き屋根

西光寺の茅葺山門

西光寺の茅葺山門は、嘉禄の法難を偲べる建物保存の目的で、維持管理をしています。 最新の材料は、神奈川の西湖から調達し、葺き替えは20年周期です。

八臂弁財天

弁財天様は、江戸時代作で八つの腕に道具をお持ちになられている八臂弁財天様です。人々に弁才、無人の智恵、財宝、延命を与え、さらに悪夢・邪気・呪術・鬼神などの人を惑わうものを排除し、病苦や疾病、闘争なども遠ざけると伝えられています。

ご本尊 阿弥陀如来坐像の補足説明

頭体幹部を檜の一材から彫出し、両体側材・両袖材を寄せ、定印を結ぶ手先、脚部横一材を矧ぐ。 特に、脚部正面から膝頭にまで表される紐状の衣文は、観心寺仏眼仏母・弥勒菩薩坐像等9世紀後半から始まり、10世紀前半期まで見られる貞観のもので、本尊のおおよその造立年代が推測できる。 具体的作例としては、寛平8年(896)の棲霞寺阿弥陀坐像 (現在 清凉寺霊宝館安置)に近いと言われている。 昭和25年8月29日に、文化財保護委員会より国の重要文化財として指定を受ける。